
今週末は哲学の道を歩いてきました。

琵琶湖疎水沿いの小さな道なのですが、もともとは哲学者の西田幾多郎氏がこの道を征きながら思索にふけっていたのが「思索の小径」と呼ばれ、それが哲学の道と呼ばれるようになったと。さもない道なのですが、桜の季節には絶好の花見コースになります。

そういえば、梅が開いていましたよ。

他にも小さな花が、春が近いことを告げるように静かに開いていました。

さもない道なのですが、それゆえにひとり思索にふけるにはいい径なのかも知れません。残念なのはこの道沿いに犬の散歩をされる人が多いからか、時折道沿いに強い犬の臭いが残っている箇所が何カ所か在りました^^;
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ところで、道の由来になった哲学者の西田氏ですが、wikiによれば仏教思想を西洋哲学の言葉で語ろうとした人のようです。大拙禅の白眉である「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を西洋哲学で捉え直すなんざ、めちゃくちゃ熱いというか何というか。現在なら脱構築の立場からエピステーメーを超えるために必要な思弁であると評することも、門外漢からは想起できそうですが、さて。

ダラダラと歩いていくと「大豊神社御旅所」なぞの碑があり、何だろうと思いつつ。

少し歩くと大豊神社なる神社があり、折角なのでお参りしていきました。

小さなお社なのですが境内では紅梅が開いていて、雅な雰囲気が漂っていました。ちなみに主祭神はスクナヒコナとのことですが、元来は背後の山体がご神体だったという情報もあり。

境内で一生懸命花の蜜を食すウグイスを見かけたりしました。

その後、若王子橋まで歩き、熊野さんにお参り。

熊野若王子神社とのことですが、熊野権現の額が掛かっていたりしました。もとは神仏習合の社だったのやも知れません。

そのまま南禅寺方面に歩いて向かいます。

JRの京都キャンペーンなどでも取り上げられたことがある南禅寺の山門ですね。ちなみに山門には拝観料を払えば昇らせてもらえたはず。

疎水の水道橋とか。

お寺さんの境内の脇に煉瓦造りの水道橋というのも凄い取り合わせですが、長い年月の末に景色に馴染んでしまうのも京都の持つ魔力のような気もします。

南禅寺の法堂を1枚。お釈迦さんと文殊さん普賢さんが奉られているそうです。今回は方丈は見送って、手を合わせて帰路につきました。
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